映画『サラダデイズ -SALAD DAYS-』

『サラダデイズ -SALAD DAYS-』
“SALAD DAYS: A DECADE OF PUNK IN WASHINGTON, DC (1980-90)”
(2014年、アメリカ、108分)

地域も時期も限られた範囲内だったからこそ、内部にいてファンジンを発行するなど密着してきた人物にしか作り得ない音楽ドキュメンタリーだと思う。

いわゆるハードコア・パンク、その中でも政治の中心地であるワシントンD.C.という特殊な土地柄での音楽シーン。外部にはほとんど知られていないだろう史実を、当事者たちの回想や記録映像などで振り返る。

バンドを始めた当初は10代後半で学生も多く、若さゆえの瞬発力や、同時に不安定さもあったのだろう。
映画でも「売れるようなジャンルじゃなかった。その種の野心なんて誰も持ってはいなかった。」と極めて冷静に自分たちを分析している場面もある。

音楽好きでも良識ある人たちは通らないような道だろう。
かく言う僕も現在は、かつて聴き込んだ反動からか静かな音楽しか聴かないぐらいにまで歳を重ねている。要するに、ここ10年ほど耳にしていない種類の音楽だ。

つまり、多くの人に愛されるような音楽ではないことは理解しているつもりだ。

それでもなお、僕は未だに二つの点で可能性を感じている。
一つは、全て自分たちで考え行動を起こしてしまおうという自発的な精神。技術がなくても演奏はできる、ライヴを開催したければ会場は自分たちで探しルールも決める、レコードを出したければレーベルを設立し文字通り手作りで製作し販売する。このドキュメンタリー自体も、そういった思想が根底にあると気づく。
もう一つは、パンク・ロックの簡潔さと熱量をさらに純化させたような音楽性。込められた衝動や感情は揺さぶられるものがあるし、潔く突き詰め切った楽曲もカッコ良いものは今聴いてもカッコ良い。それこそ、外見で判断すると見誤ることもあるのだろう。

たまたまか、同じ時代の「ゴー・ゴー」と呼ばれるブラック・ミュージックとも接点があったのも興味深い発見の一つだった。
ここから先は、固有名詞を出しながら個人的な体験を書いていく。

局所的な勃興だったからこそ、中心的存在のバンドFugaziが出るまで知られることもなかったのかもしれない。少なくとも僕自身にとってはそうだった。彼らのCDアルバムを1990年代半ばから聴き、ライヴ映像をDVDで観て、先述の「Do It Yourself」なあり方(ツアーの移動も自分たちの車で、機材も自分たちで積み込む)や研ぎ澄まされた音楽に強く共感していた。

僕が音楽を真剣に聴き始めた頃に触れていたNirvana、Dinosaur Jr.、Sonic Youthといった人たちの源流でもあり、彼らもやはりこの作品に登場し証言している。

残念ながらFugaziの来日公演には間に合わなかった世代ではあるけど、2005年にIan MacKayeのバンドThe Evensを観たことがある。
また、彼が立ち上げたDischordレーベルは今も一つの理想としてある。
Bandcampでは網羅したページもあるし、来る人は拒まない開かれた態度は健在だ。
今の耳で改めて探索してみようかなとも思っている。

熊谷悠一のブログ Yuichi Kumagai dot net

映画、音楽、本、思索など日々の記録。

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